2020年05月18日

賽の河原でつかまえて。







「いつ死んじゃうかわからないから、ちゃんとしといてね」
「ちゃんとって言われても困る」


「留守の時に死んじゃうと不審死で警察が来ると思うよ」
「なにそれ」


「まあ病院は必要になる、死亡診断書がいるからね」
「どうするの?」


「とにかくお父さんにだけ伝えて」
「うん」


「ああどうしよう賽の河原を渡らせてもらえなかったら…返るのイヤだしキャンプしちゃおかな」
「ありそうだから笑える」



「お母さん何やってるの?って聞くよねえ…」
「いや、こんなとこにまだ居たの?って言うわ」



「まだ・・・って まだいたの?は笑える(笑)」
「だって私がいくときだから、かなりな時間だよ」






痛みはいつもどこからともなくやって来る

股関節は悪いから当然 でも皮膚と肉の間とか(表現しようがない

腎臓も痛む 一日何回も毎日となると 憂鬱になる暇がない

鬱病は痛みとの付き合いが長くなる らしい

どこがどう痛むのか予想がつかないから痛み止めを使えない 厄介だよね

そして突然の吐き気 これとの闘いがまた面倒くさいし 謎

ネットで調べると かなりの人がいて ほぼ同じ それだけで少し安心したりする


今朝は(眼球)が痛くて右目だ ここは昔 瞳孔に金属の破片を刺してしまって手術をしてる

全く痛くない手術だけど 目を開いたまま何かが入ってくるのは 凄いリアルを通り越して視えない

「サンダーでも使ったんですか?」って (いえ釘を打ってる時トンカチがナメて…その釘の欠片)とは言わなかった

実際 仕事でサンダーは使ったことがある でもちゃんとメガネするから

私は日曜大工が好き 今はDIYとか言うらしいけど 大抵のことは自分でやってきた

離婚した夫はそのあたり器用ではなかったので99%私がやってきた

娘はそれを見て育ってるので 幼稚園から(缶ポックリ)を作るよう言われてきたら早々と

「おかあさん持ってくから作ってえ」と夫を通り越して全て私に言ってくるという環境だった

で すぐさま 桃缶を買ってきて 作ってあげる

別にそれで良かった 良かったけど 家庭に興味がわかない人っていうのは

「理想的な家庭」をこよなく夢見ていた人間にとって 辛すぎるし憎しみだ…

彼は時間がある限りひたすら本を読んでる人で お酒があったら尚可(酒癖はあまりよろしくない

いるんだか居ないんだかわからないくらいの気配のない人

10年も関わってたのに私には何も分からなかったというより、ただの付き合いは生活と関係ない

沢山いろんなことを要求した気がする

多分 皆の家庭では普通になってるような 子供を抱っこするとか 連れて散歩に出るとか

黙ってるとゴミ出しの袋をまたいで出てく人 っていることを最近知った

もう遠いはなし 今年の正月七年ぶりくらいに電話で話をした 娘の休学のことで

なんだか歳をとったような気がする いや歳だけど十分 退職のない会社なんで娘には救い

娘とはメールのやり取りがたまにあるようだ… だ  だ は、だって私は他人だし

娘も今じゃ普通に「お父さん」て言ってるけど 6歳で離れてるからずっと(君よばわり

私も君付けで呼んでたから仕方ない身内もみんな「〇〇君」 だった

ちなみに幼馴染は結婚して30年たった今も「〇〇さん」と呼んでて あんたと同じ名字だよ。。。って思う

夫は私の名を一度も呼んだことはなかった 大きく飛び越して「おかあさん」と言う機会を得た

そう 子供が生まれたらおとうさん、おかあさん



あの時 なぜ別れたのか (そりゃ理由はたんまりあるよ)

せめて家を捨てなきゃ良かった (どうだろうね)

一匹一匹の顔と声を今も思い出す そこが辛い 痛みと同じくらい

いやな天気だ… 光った曇り空は地震を思い出して怖くなる

普通の社会に戻りたいそうは思うけど 何が普通だろう

このまま 賽の河原でキャンプしながら釣りでもしたいんだけど

渡れない理由は(閻魔さんが私の性格が嫌いだから)ということになってるそう思う

あの世にいけないほど性格が面倒くさい それはそう思う異議なし







posted by ciro noop at 14:51| 死と老いを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする